クリスク・インドネシアに新しいスタッフのタニアがジョイン致しました!
今回ジョインしてくれたのは、母国でデザインを学んだあと、前から興味を持っていた日本へ渡り語学を磨いたというタニアさん。
一体なぜ日本に興味を持ったのか、どんなスキルや想いを持っているのかなどを教えてもらいました。
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皆さん、こんにちは!
クリスク・インドネシアに入社したタニア・パラミタ(Tania Paramita)です。
タニアと呼んでくださいね!
私はグラフィックデザインを母国・インドネシアの大学で学んだのち、日本へ留学し、東京の日本語学校へ通っていました。趣味はアートやデザイン、音楽、映画鑑賞、絵を描くことです。
では、私について紹介させてください。
絵を描くことやデザイン、アートへの関心のきっかけ
子供の頃から絵を描くことが好きで、それを続けるために大学でもグラフィックデザインを学びました。
私が入ったグラフィックデザイン専攻では、自由に絵を描くだけでなく、ポスターやウェブサイトなどの販促物の作り方も学ぶ必要がありました。
Tシャツやマグカップ、バッジなどの作成は大変でしたが、私の絵が紙以外のメディアで見ることができるのは素敵だなと感じました。
なぜ日本語を学ぼうと思ったのか
4歳で初めてテレビで「美少女戦士セーラームーン」を見て以来、私はアニメと漫画に囲まれて成長してきました。そこから、日本の映画や音楽、文化にも興味を持ち、日本への関心が深まってきました。
私が日本へ留学する以前に、同じ日本のバンドを好きな友達がすでに留学していました。その友達は、日本でよく好きなバンドのコンサートに行っていて、「日本に住みながら趣味を楽しむことができるなんていいな」と思ったのが、日本へ留学することに本気になった理由です。
それから実際に奨学金を受け、日本に留学できるとなったときは、せっかくの機会を無駄にしないため日本語学校に入り一生懸命日本語を勉強することに。
学校は東京都内でしたが、私は埼玉県に住んでいました。通学時間は約1時間かかりましたが、家賃は安いし、混雑が少なくて静かな環境が気に入っていました。
最初に日本に来たとき、私は日本語を少ししか話せなかったため、接客アルバイトを選びました。接客業では、敬語を使ってお客様に対して丁寧に接しないといけないため、最初はものすごく緊張しました。しかし、上司と先輩が優しかったので少しずつ困難を乗り越えることができたのです。
接客のアルバイトと日本語学校での集中的な学習のおかげで、1年でJLPT N2に合格することができました。
楽しいことばかりではなかった日本留学
2年間日本にいましたが、いつも楽しいことばかりだったわけではありませんでした。生活をきちんと管理できなかったり、就職活動がうまくいかなかったりと色々な大変な時期もあり、そんな時は学校を辞めて帰国したいと考えたこともありました。
しかし、私は日本で好きなバンドのコンサートに何回も行ったり、京都や大阪などのずっと行きたかった日本の場所に旅行したり、様々な国の友達ができたりもしました。
このような経験はたくさんの人が望んでいますが、実際に経験するチャンスが与えられる人はわずかです。その事実を胸に、辛くても、頑張って努力して諦めずに勉強することができました。知識を学ぶだけではなく、憧れの国・日本に住む経験を積めるのは本当に幸せなことです。
クリスク・インドネシアでやりとげたいこと
クリスクでは、ソーシャルメディアマーケティングやインフルエンサーマーケティングで日本企業とインドネシアとのコミュニケーションを設計する仕事がメインとなります。仕事を通じて、自分の日本への留学経験やデザインスキルを活かして、日本とインドネシアの人々を繋げたいと思っています。
皆さん、どうぞよろしくお願いします!